前川千帆 版画浴泉譜
京都に生まれ大正〜昭和にかけて活躍した版画作家、前川千帆(まえかわ せんぱん)。
恩地孝四郎や平塚運一とともに創作版画の「御三家」と称されました。その代表作「版画浴泉譜」は全5巻の大判版画集シリーズで、各冊20箇所の温泉風景が手摺りの木版画に紀行文付きで描かれています。その2作目にあたる「続版画浴泉譜」が綴じられた本の状態ではなく一枚ごとで入荷しましたのでご紹介します。
昭和初期、日本各地で交通網が整備され、観光旅行が徐々に盛んになる中、千帆は様々な旅行・温泉関係の仕事に携わりました。
「版画浴泉譜」の第1集は1941(昭和16)年に岡山の酒造家だった志茂太郎が版画家、装幀家の恩地孝四郎と親交を結んで1934(昭和9)年に興したアオイ書房より刊行されました。志茂は千帆の交友関係の中でも最も重要な人物となり以下の言葉を遺しています。
「千帆のライフワークである「版画浴泉譜」全5巻は、僕の世に問うた版画集であるが、二十年以上を費やして完成したこの企画は、ある版画展の一隅で、法師温泉を描いた千帆の作品に目を奪われ、いかにも温泉好きの楽しげな作者を想像して、作品の前に立ちつくしたほど気に入った。「浴泉譜」の構想は、その日その場で芽生えたといっていい。」
また出版当時の事情については普及版浴泉譜の「あとがき」に千帆自身がこう記しています。
「版画浴泉譜は元々、浴泉譜、続浴泉譜、続続浴泉の三冊になっている木版色刷りの、大画集であって、各地の地方色をとり入れた温泉場の情景を、七寸✕七寸に収めて各冊二十景宛をまとめ、約十余年に亘って出刊されたものである。
第二輯たる続浴泉譜の如きは苛烈なる戦時中に製作したもので、連日空襲報下に仕事をした追憶もあり、統々浴泉譜は終戦後の所産であるので、これは又資材欠乏の最悪事態の中で敢行したものである。
始め浴泉譜を計画した頃は何と云っても、未だ良い世の中の頃で一ツ道楽気を出してと年々蓄積されていた材料をまとめたものであったが、意外に好評を得たので第二、第三の続を重ねる事になった(以下略)」
会津湯の上 福島県
春四月といふのに会津は吹雪。磐梯山は見えない。会津盆地を繞る山々は壮観な雪の切子細工。乳白色の雲の下に光つて見える。
日光街道は立ち塞がる山に分け入る。
杉林の山の中腹に燃え上がる炎。火を囲んで吹雪の中に、団欒する山の男女。狭い段々畠に堆肥を積む農婦。駒を曳く娘。蓋をつけ藁靴を穿く。
かたくりの紫の群生。のびた蕗の花の点綴。
山村を送り迎へて会津から南へ三里。旧街道。大川の青い水を瞰下にて湯の上新湯がある。
疾い山の川を堰いた一郭。露天湯は川床から湧く。
宿舎は崖の上。対岸の宿もが崖にへばりついた廊下を持つ。杉。杉。杉。美事な植林の杉の鉾襖幾重畳。その奥に日光の山の雪が黄金色に映える。神秘な美を感じさせる。
鹿沢 群馬県
浅間高原の西北の一角。吾嬬街道から新鹿沢を経て白樺の径。落葉木の実を踏んで一里。旧鹿沢の浴舎が見える。山の襞にかくれて唯一軒の宿である。素朴な木造りの浴場。快く乾いた湯槽。真昼の秋の陽が透明な湯の中に屈折して、鮮かな七色を分光してゐる。人間の爪先に虹がかゝる。黎明の冷い雨にぬれた落葉松の黄化した枝は氷花のやうに晃めく。霧が窓へぬれかゝり吹き流れる。山は今、秋の頂上である。紅い光沢のいゝ漿果の珱珞。いかめしく黒い武装した痩果。鉤をもつた草の実は足に忍びつき、剽軽な翼をもつ翅果は青空に舞ひ上る。宿では朝の茶にこけもゝの紅い珠の砂糖漬を出した。夜は唯、岩を奔る溪の音ばかり。十六日の月が凄い。標高千六百の山の湯は寒い。
下加茂 静岡県
明快な南伊豆。旺盛な緑の熱風と、活潑な植物類の分泌する強力な匂の中に、下加茂温泉群がある。後の山から覆ひかぶさる若葉は、軽快な緑色素の幾階調を放射し、反射して室の中で人の頬を染める。前は開けて青野川の流。夜は蛍が背の葉に吹かれる。蛙がなく。五位鷺が来る。翡翠が川楊に来る。村の子供は裸で横行する。メロン栽培の青ペンキの温室へ南瓜の逞しい蔓が侵略する。たけに草の黄色い粉をふいた毒々しい花。巨きな葉を揮ふ唐もろこしの割拠。蜂、虻、甲虫、蝿、蚊、もろ〱の昆虫の天下。下加茂田園、即ち野趣満喫するに足るべし。川の中に石をたゝみ寄せて、さゝやかな自然湯。夕ともなれば村の衆、老若男女が汗を流す。
渋、安代 長野県
平穏温泉群は湯田中から始まる。湯田中、安代、渋、上林と登りつめて渋峠は、草津へ越える。湯治場風景に富んだ温泉場である。善光寺詣りの講中で賑ふ。昔一茶もつかつた湯である。狭い坂道に向ひ合つた古風な旅籠。室々では爺婆が向い合った窓を開けて茶を喫んでゐる。夜は窓の灯が向ひ合つてともる。退屈すれば角間の湯へ、地獄谷へ近い。志賀高原、熊の湯も近い。スキーの本場でもある。春は山を分ければ、山うど、わらび、たらの芽もある。秋は柿栗の産地を控へて、茸に興を添える。西の窓を開けば戸隠、飯綱、黒姫、妙高が屏風に立つ。
沓掛 長野県
峠の下の古びた地味な温泉場、山ふところ深く積み重なつた山田の中の丘の上。前の山は保福寺峠を越えて浅間温泉へ通ずる。後の山は近道して別所温泉に行く。秋晴、渋柿は紅く枝を撓め、紅葉は吹き溜つて廊下に風情をそへる。山も紅く、宿の庭も紅い。太い柱。くすぶつた土壁。年代を想はせる土蔵、立派な鬼瓦。山の秋は寒い。炬燵が何より御馳走。炬燵かけの上品な昔模様の裂地。よく使ひ込ん炬燵板。古い宿は滋味があつていゝ。建て混んだ宿と宿は、何処の障子も明るい影法師。窓の下は共同浴場への下駄の音。女の声。湯の音に秋の夜は更けて行く。
山田 長野県
五月雨にぬれて山へ登る。車の中も濡れて草色。道も橋も濡れて緑一色。山も青く濡れ、這ひ廻る雲も青い梅雨の中を濡れて行く。友の顔にも緑の翳をもつ。道はうつぎの花盛り。農家には芍薬が咲き、菖蒲が咲く。五月の雨降りしぶく山を幾曲り、萌黄浅黄の底に静かな山田の湯があつた。山と山に挟まれた山の陰。巨きな大湯を中にとりまいて古びた旅舎が建ち並ぶ。座敷に坐れば白雲去来して膝に這ひ寄る山の風情横溢。宿の主人が昔振りの丈の短い羽織を被て来る。風土を説き人情を語る。すべて実直で質朴な土風が快い。而も湯は快適。腸まで濡れた雨の旅愁を洗ひ流すに恰好。小時、小柄杓で頭から湯をあびてあそぶ。極楽である。
浅間 長野県
日本アルプスの連峰に対して浅間の湯に遊ぶ。正面に常念の雪。乗鞍は左。右に大天井、有明。後の山に登れば槍、白馬の英姿を指すべし。雪を吹きおろす風は痛くとも硝子戸を排し、足に自信はなくとも山に対し、山を語り、山に憧れ、山を楽しむべし。浅間温泉は都会色を迎へて享楽面を多分に誇る。他方アルプス巡礼の発足点としての純真な一面ももつ。洵に清濁混淆の世界へ、今、すが〱しく明朗な風が吹く。温泉更生。清冽な湯は華美なタイルに溢れ、流れ奔り、滾々尽きる処なし。居ながらにして朝夕山に対ひ、山の神秘に触れ、山の雲を仰ぎ、山の生活を想ふ。又楽しからずや。
鐘釣 富山県
こゝは黒部鐘釣温泉。宇奈月から谿を廻って軽便軌道が山から山へ伝って、西鐘釣山まで来る。
黒部谿谷の関門であり、祖母谷温泉への入口。
空を劃る山頂から急転直下、千仞の断壁に面して、又高い崖の上に旅館がある。深い谿の根にたぎる奔激流が彼我を距つ。
宿の床の下数十丈の谿底、岩窟の中に湯が湧く。
浴槽は自然の岩を囲んで、外は眼も眩む激流。狂奔。躍動。水の乱舞。内は快適な温泉。山の奥から流れて来た原始林の闊葉の黄葉が静かに漾ふ。
黒部の溪谷は豪放の一つに尽きる。
断崖絶壁の断続。岩を噛む奮迅の水。岩と水の不断の闘争は轟々谿にこだまする。原始林の巨人は枝を揮って、風に叫ぶ。
蒼白い都会人の感覚は完全に圧される。
三朝 鳥取県
三朝の宿は岩崎。依山楼。奥床しい木立を回つて潺湲たる流水。池には躍る紅白の鯉。春徂く日の桜の葩は竹の緑に散る。芝生の緑を綴る可憐な草の花。馬酔木の花はこぼれる。林泉の粋を尽すといふもの。浴舎唯あるがまゝの自然の石組。簡素な丸太を組んだ浴槽。工まずして格をもち。品を備へ幽寂な境地を想はせる。三朝は広い三朝川を挟んで湯の宿が併ぶ。山は低く、山
は青く、水も青い。雨近きを暗示する南の風は、裏山を鳴らし、山桜を吹雪く。その中を旅の芸人の一団は鮮人の箱馬車で乗り込む。温泉療養所の傷痍軍人の白衣が橋を渡る。三々五々。浴場に紛れ込んだ河鹿の声、天井に響いて微妙。
奥津大釣 岡山県
奥津大釣は美作の山の奥。春も遅い。牡丹桜が爛漫と山の霧にぬれて垂れて咲く。奥津川の瀬となり、潭となり、淵となる所、紺碧の水に臨んでおちかゝる大釣の湯の宿。浴舎をつなぐ長い渡り
廊下が崖に沿つて上下する。奥津の湯は更に溪を遡る十数丁。谿は俄然闊けて、桃が咲く。牛が鳴く。展開する山村風景。宿は川に倚つた離れ座敷。女中は庭の石を飛んで膳を運ぶ。青い笹の葉をあしらつた魚籠を提げて、岩魚の塩焼をとゞける。巒気は窓に近く冷い。炬燵にあつて八重桜を看る。川の中から湧く湯は、導いて、足ふみ洗濯を見せる。奇習であり、名物である。
湯原砂吹 岡山県
川の水を随所に堰いて、石で囲んだ幾つもの露天風呂。即ち砂吹きの湯。おのづから女ばかりの湯。男達ちの湯。子供は河童のやうに渡り歩き、湯をあび、水をあび、砂をあびる。底は潔い白砂、湯は頗る上々。名物、天然記念物の山椒魚のやうに、老人は石の上に寝る。夜は暗い峡の底からいつまでも女の声が聞こえる。星明りに嶮しい高い山が眉に迫る。伯耆の国に通る国道を馳るトラックのヘッドライトが直ぐ頭の上を怪しく飛ぶ。鶯の声に明ける黎明から自転車で土地の人が入湯に来る。春の暁は静かに山の桜も匂ふ。岨には三椏も咲く。甚だせまる山峡の湯、悠々自適するによし。
温泉津 島根県
夢二が居たら喜びさうな、寂れた古い港町。なまこ壁。古い土蔵。乗合バスは狭いその間を幾曲り、その街つゞき、そこに温泉津の湯がある。二階三階の宿が両側に並ぷ。田舎風な湯場。純朴な農村の客が多い。近在の娘が山の花を添へて蕨をうりに来る。浜の女が小魚の笊をかついで来る。自炊の客は共同井戸から白濁した水を汲んで行く。湯治場情緒の面白いところ。湯は皆共同湯に集る。手拭も染まる赫い湯をあびて、土地の人も旅の者も一つに話す。裏山には山の藤が咲き、躑躅が咲く。宿の二階にはビール壜に挿した芍薬が紅い。半年も前に見た映画の広告ビラ。本屋の店頭には古い雑誌。去年の夏のまゝの蚊やり線香が並べてある。山中ならずとも暦日なし。
別府海地獄 大分県
赭い血の池地獄。青い海地獄。併び称すべき別府地獄群の両雄。沸き騰る青藍の湯。海地獄は殊に美観をもつ。南国的な濃い翠巒にたちからむ猛烈な湯煙。強度の熱を底に潜めて、群青緑の深い色を極め湛へた熱湯。渡る風も甚だ熱い。別府入湯プログラムを運んでバスは、眼を射る紫外線に焦けた砂を噛んで訪れる。茶亭の婢は眼前卵を茹で、遊覧客は争つて集る。足下無限の熱、強力な色、危惧の感は吾々を捉へ、威圧し圧倒するものあり。ものものしい危険の赤い号標。宜なり。可憐な、もんしろてふが墜ちて、青い中に浮いて白い。
柴石 大分県
雑沓を遠く避けた幽邃な山の中。径は山に尽き、高層な旅舎は谿間に倚る。関寂な風致境、別府柴石温泉。名物、湯滝は筒をそろへて谿に落つ。湯治の女は湯布を冠つて滝に立つ。赭く錆びた岩重畳。赭い湯を送る。途に培つた牡丹の花、山藤は宿の前栽につゞく。筧の水は山から卯の花を流して来る。前山の松の上枝に春蝉が鳴く。瞬間谿は静まる。時には紅いきゝきが来て桜の木を啄く。時鳥も聞くべく、閑古鳥も啼く。欄干に手を伸ばせば山草の花も折るべく、一歩出づれば山菜に恵まれて、洵、山居限りなき風趣に満つ。
阿蘇 熊本県
内の牧の湯宿を出て大阿蘇に向ふ。頗る爽快。浩然。外輪山に囲まれた青草の大高原を行く。広袤三十平方里。眼の涯は外輪の山壁。雄大な山稜線は波濤の如く、蜓々東方より東方へ一巡して、青天井を高く丸く截る。燦然、初夏の陽は頭上に輝く。野は一面の草の花。南方一条の黄煙立つ処、活火山、大阿蘇五山。五つの岳は各々異つた五つの風丯をもつて集る。根古岳殊に怪奇。放牧の牛、馬が遊覧バスを見送る。仔馬は跳ねて野茨に隠れる。山頂の草原に雲雀が囀る。山頂の上の大空高くにも雲雀が囀る。大阿蘇外輪山環の外、遙かに霞んで久住山塊が呼応して立つ。日暮れて暮れ残る空に、野火の煙紅く高く騰る。高原阿蘇の大自然は感激に値する。
栃の木 熊本県
栃の木温泉は阿蘇の裾にかくれてある温泉の、一つ。外輪山の西の一角、僅かに山壁欠陥の間隙を迯れ出る白川の上流。径は断崖を伝つて谷底へ下る。前も後も雲つく山。山は新緑。障子も籐椅子も、茶器も人も新緑。湯は多い。五本の滝におちてとう〱と響く。透徹した湯は奔流となつて、新緑を映じ、新緑の中にゆく。建ち重なる二階三階。農村の人の自炊客が多い。湯に通ふ夥しい下駄。騒然たり。宿の裏庭で裸の男、新茶を焙じる。浴客も女中も手伝ふ。川に河鹿を捕る児。舟を棹さす児。水に遊ぶ児。九州は夏も早い。半裸の人。蠅。蚊。既に夏だ。
湯の児 熊本県
小い蟹が湯槽へ来る。湿つた海の風が直接吹き込む。浴場の外は、熟れた黄色い批杷の珠に、生温い雨が斜めに吹きつける。龍舌蘭の金属質の葉面は雨を流して、砂に穴を掘る。海も島も一つの灰色になつて一としきり白い雨が通る。海は凪、不知火の海。雲か山かの山は天草。天草に灯一つ見えず。濤の音もなく、船も通らず、唯軒の雨の音に寂しく、侘しく湯の児は暮れる。雨は時化気味。煙草も湿める。月明良夜を偲ぶばかり。温泉旅館群大小一郭、海を前にして建ち競ふ。高層建築の立体風景、甚だ美観。広い海の水平面を直角に断つ構成の快をそこに見て、峠の上より瞰下して小時、足を止める。
雲仙 長崎県
鼻を衝く亜硫酸瓦斯。硫化水素臭。その中にあつて雲仙つゝじが咲く。珱珞つゝじが咲く。右も地獄。左も地獄。礫も黄色く焦ける噴気孔。泥火山。間歇噴泥孔。国立公園。温泉。雲仙はこの三十有余の地獄の中に、現世の極楽を展示する。真に苦楽は表裏一体。春によし。夏によし。外国文化を象徴する青い屋根、赤い窓をもつた幾つかのホテルが景勝を誇る。銷夏によし 橇によし。雲仙岳普賢峰の大観は、冬の霧氷と共に天下に鳴る。有明湾。五島、天草の列島を指顧し、海光の美を恣にすべしと。不幸残念。晩春の雨模糊として、徒らに雲霧去来して、万事休す。
霧島 鹿児島県
霧島に登ると遉がに風が冷い。山では桜が咲いてゐた。霧が頻りと渦巻いて騰る。霧の中に谷にはみづきの花が白く咲く。霧にぬれて霧島つゝじが紅い。半分壊れた栄之尾の浴舎は谷の緑に包まれて、霧の底にある。澄んだ熱い湯は漫々と溢れて谷へ落ちてゐる。強い硫気が霧と共に流れて来る。林田の湯は文化施設をもつ。清潔広闊な浴場は温泉を娯しむに好適。夜は大広間に客を集めて、泊り合せた音曲青年が歌謡を唄ふ。宿の女中さんへの慰問でもある。窓を排す。よく晴れた朝。美しい杉の鉾並の上に、遠く鹿児島の海と桜島を見る。三角に尖つた高千穂岳には、黄金色の一片の雲がかゝる。神代の雲の彩である。即ち壮厳。
指宿 鹿児島県
「夜来の雨霽れたれど開聞岳見えず」「桜島尚重厚なる雲の裡に在り」黎明の東天紅に対つて、摺ヶ浜の汀に砂風呂が始まる。地熱は蒸気に凝つて汀にたちこめる。掌に砂は熱い。風呂敷を冠つた女達が、砂に潜り、砂をかけて貰つて、砂に寝る。宿の名をかいた柄杓を各々枕にして。海の水は足下に打ち上げる。指宿はいゝところ、学童も跣で登校。枇杷売の農婦も勿論跣。屈託もなく伸びた南瓜は五月既に黄色い花をもつ。巨大な甘藍が畑一杯に育つてゐる。同時に発育のいゝ害虫も貧婪を発揮するものか、夥しい食害の痕。田圃の蛙がラッパのやうに大声を発する。少し桁がちがふ。土地の女の人の紺飛白、その簡潔な姿、見れど見倦かず。南国の楽園、指宿。
【参考文献】
・平木コレクションによる前川千帆展 /千葉市美術館 / 2021年
・版画浴泉譜 / 前川千帆 / 龍星閣 / 昭和29年